オリバー・ラーチ失踪事件 (1889)
オリバー・ラーチ(Oliver Larch 当時11歳)少年はインディアナ州サウスベンド郊外で農家を営むラーチ一家の一員である。1889年のクリスマス・イヴの日、大雪が降る中、ラーチ一家は歌を歌うなどして楽しい聖夜のひとときを過ごしていた。
夜の11時を過ぎた頃、オリバー少年は父親に命じられ井戸に水を汲みに出た。彼が長靴を履いて外に出た直後である。家の中にいた彼の一家は次のような叫び声を耳にした。
「たすけて! たすけて! たすけてぇ〜! 連れていかれる! たすけてぇ〜!」
一家が急いで外に出るが、既に少年の姿はどこにもない。父親が手にしたランプの光には、新雪に残ったオリバー少年の足跡が照らし出されるばかり。足跡は井戸へ向かう途中でぷっつり途絶えており、少年が手にしていたバケツもそこに転がっていた。だが肝心のオリバー少年の姿はどこにも見当たらない。助けを求める声がかすかに聞こえることから、まだ彼は近くにいる筈である。井戸に落ちたのではないかというのが最もありそうな答えに思えた。しかし不思議な事に、助けを求める声は井戸の底からではなく、皆の頭上の闇から聞こえてくるのだった。
結局その夜は勿論、その後もオリバー少年が見つかることは永久に無かった。
【考察】
今は流行ではないようだが、私が子供の頃などはいわゆる「四次元もの」の本をよく見かけた事がある。中身の大半は人や物の不可解な消失、ないしテレポーテーションといった話で、恐らく編集者やライターが適当にこしらえた話が多数含まれるであろうといった代物である。そういった「四次元消失談」の定番の一つが、このオリバー・ラーチ消失事件である。
まず問題となっている失踪事件談の出所を整理しておこう。オリバー・ラーチが1889年に失踪したという話の初出は『四次元の謎』(フランク・エドワーズ著 1962)である。ところがこれとは別に、オリバー・レアチ(Oliver Leach)なる少年が1890年に同じように消えてしまったと伝える文献が存在していた。それは『フェイト』誌の『オリバー・レアチに何が起こったか?』という記事で、筆者はジョーゼフ・ローゼンバーガーという人物。そしてこの記事が世に出た年は1950年。ラーチ事件を伝える『四次元の謎』より12年も早い。
つまりオリバー・ラーチ事件(1889)とオリバー・レアチ事件(1890)という二つの微妙に異なる事件が伝えられていることになる。とは言え話の細部はほとんど同じで、行方不明となった少年の名前もよく似ており、年代もほとんど同じ。同じ事件を扱っていると考えてもそう大きな問題はなさそうである。
■ 考え得る可能性
さて検証であるが、まずはこの話が実際に起きた出来事であるとして、その上でどのような可能性が考えられるかを見てみよう。この話の奇怪な点は主に次の2点に集約される。
○ 「連れていかれる」という少年の言葉
○ 頭上から聞こえてくる悲鳴
単なる事故であれば、いくら物を知らぬ子供とはいえ(それも3歳や4歳ではなく、11歳である)「連れていかれる」という悲鳴が発せられるとは考え難い。しかし実際に何者かに連れて行かれたと考えると、新雪の上に少年の足跡しか残らないのはおかしい。足跡を残さず少年を連れ去るには空中から襲撃するより他になさそうであるが、一体どうやってそれを行うのか。話の出所である『四次元の謎』では気球に乗った悪党が連れ去ったなどという可能性が述べられているが、暴れる少年を連れ去るのは不可能であると同書の中で退けられている。全くその通りであろう。第一、大雪の中気球を飛ばす悪党がいようか。下手すれば自分の命が危ない。それに、一体何のために? 一農家の息子をそんな無理してまで連れ去るメリットがあるとは思えない。他に『四次元の謎』には大鷲が連れ去ったなどという話も述べられているが、これもやはり退けられている。
他のあり得る可能性として、単なる少年のいたずらではないかという可能性が考えられる。有名なポルター・ガイスト現象もその多くが少年少女のいたずらだという話である。年頃の少年がいたずら心を起こし、家族を心配させてやろうと一芝居うったところ、大雪と積もる雪で視界不良のため井戸か何かに落ちてしまったというのは大いに考えられよう。「連れていかれる」という声はまだ事故の前(つまりいたずらの段階)だと考えれば辻褄も合う。不可解なのは悲鳴が「頭上から聞こえた」という点であるが、音響学的には井戸の底のような狭い場所から声を発した場合、音が井戸を伝って上方に放射されるために、状況いかんでは音が「頭上から聞こえる」というのはあり得ない話ではないという。それに、そもそも「頭上から聞こえた」云々の話が単なる勘違いだという可能性もある。声を聞いた人達は動転していたに違いない少年の家族で、しかも大雪の夜だったのだから。
と言うわけで、この事件が実際に起きたと考えた場合は単なる事故説が最も信憑性が高いように思われる。但し、あくまで「実際に起きた」と見なす場合である。
有名な米国のオカルト詐欺撲滅団体CSICOPの一員であるジョー・ニッケル氏が仔細に調査した結果、そもそもこの話は単なる作り話であることが濃厚だという結果が得られた。以下、『オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿』より氏の調査結果をご紹介したい。
■ ニッケル氏の調査による真相
ニッケル氏がサウスベンドの識者に依頼して戸籍もろもろの資料を調査してもらったところ、ラーチあるいはレアチなる一家が住んでいたという記録は全く存在しないということが明らかになった。肝心の一家の存在が確認できないとなると、これは作り話の可能性が濃厚となってくる
そこでニッケル氏は次に、1950年に『フェイト』誌にレアチ事件を書いたジョーゼフ・ローゼンバーガーに手紙を出して真偽を問い質してみた。すると返ってきた返答は何ともあっけないものである。
「あれは一から十までぜんぶ作り話です。大昔、僕が貧乏のどん底にあったころに書いた、ろくでもない作り話なのです……」。
これでレアチ事件はローゼンバーガーなる男の作り話がきっかけであった――とはならなかった。更にニッケル氏が調査を進めた所、1948年(つまり『フェイト』誌のローゼンバーガー氏の記事の2年前)に刊行された『米英および欧州における謎の人間消滅事件の数々』(ハロルド・T・ウィルキンズ著)という小冊子の中に、オリバー・レアチなる少年が行方不明になるという話が既に紹介されていたのである。つまりローゼンバーガーが「一から十まで僕の作り話」と語ったのは嘘であったことになる。偶然に似たような話の登場人物の名前が一致するなどという事は考えられないからである。どうやらローゼンバーガーという男はこの話を知っていながら自分の名で発表したようである。
さて、ニッケル氏が調査した限りでは、この『米英および欧州における謎の人間消滅事件の数々』がレアチ事件を記録した文献の最古のものである。この文献においてレアチ事件は、当時『サウスベンド・トリビューン』紙の編集長であったルドルフ・H・ホルスト氏の手紙(1932年3月25日付)の引用という形で登場している。その手紙の文面というのが以下の通りである。
「貴兄がご指摘の、1900年のクリスマスに起きたという事件についてですが、それはまったくのウソっぱちです」。
この手紙によると問題の事件は1900年の出来事とされており、それに対し1932年の段階ではっきり「あれはウソ」と断言されているのである(ちなみにルドルフ氏がウソと断言する根拠、及びハロルド氏が自著のどのような文脈でこの事件を扱っているかといった細かい内容までは、ニッケル氏の著書では紹介されていない)。ところがその後のローゼンバーガーの著書では年代が1890年となり、しかも話が事実のものとして扱われている。ローゼンバーガーの罪は重い。
話はこれで終わらない。オリバー・レアチ、ないしラーチなる少年に関する記録ではないが、これと非常に良く似た小説が、より以前の1893年に公表されていたのである。小説の名は『消えた足跡』。著者の名は『悪魔の辞典』で有名なアンブローズ・ビアス。作品の概要は以下の通り。
1878年11月9日夜9時頃、ニューヨーク州トロイで農家を営むクリスチャン・アッシュモア一家の15歳の長男、チャールズ・アッシュモア少年は、暖炉の周りの一家団欒の場を後にして、家から少し離れた泉に水を汲みに出かけた。ところが彼がいつまでも帰ってこないので一家は不安に駆られ、父親が長女を連れてランタンを片手に捜索に出かけた。そして見つけたのは、突如として途絶えている、雪の上の少年の足跡であった……。その4日後のこと、少年の母親は少年が消えたと思われる場所で他ならぬ彼の声を聞いた。その声はどこか遠いところから聞こえてくる明瞭で、それでいて誰も何と言っているか聞き取れない、方向のはっきりしない声であったという。
雪の夜。農家。少年。水を汲みに出かける。突如として消えた足跡。どこから聞こえてくるのか判らない声……明らかにレアチ少年の話とそっくりである。先に述べたようにこの話は1893年にはビアス作の小説作品として公表されている。ローゼンバーガーの作り話や『米英および欧州における謎の人間消滅事件の数々』に紹介されている「クリスマスに起きたという事件」の元ネタである事はほぼ明らかであろう。
「ビアスが現実の話を元に創作したのではないか?」と考える向きもあろうが、ニッケル氏はそれはありそうにないと言う。私も同感である。想像力を駆使し、現実にあり得ない、それでいて実際に起きた話であるかのような物語を描くのはビアスの十八番である。
最後に簡単な年表を記しておきたい。オリバー・ラーチの系列を青字、オリバー・レアチの系列を赤字で記してある。
1893 アンブローズ・ビアスの短編集『ありうべきことか?』内に『消えた足跡』が収録
1889 オリバー・ラーチ事件の日付
1890 オリバー・レアチ事件の日付
1932 ルドルフ・H・ホルスト氏の手紙の日付 「貴兄がご指摘の、1900年のクリスマスに起きたという事件についてですが、それはまったくのウソっぱちです」
1948 ハロルド・T・ウィルキンズ『米英および欧州における謎の人間消滅事件の数々』刊行
1950 『フェイト』誌にジョーゼフ・ローゼンバーガーが「オリバー・レアチに何が起こったか?」の記事を書く
1962 フランク・エドワーズ『四次元の謎』刊行
ビアスの小説がいつしかまことしやかに実在の話として語り継がれるようになり、その話をハロルド・T・ウィルキンズやジョーゼフ・ローゼンバーガーが自著で紹介した。あるいはビアスの小説を元ネタに怪奇談をでっち上げた。こんな所が真相ではないかと私は考えている。ちなみに話の細部が若干異なるフランク・エドワーズ伝えるオリバー・ラーチ事件の方は、伝聞のうちに細部が異なってしまった話を伝えているか、さもなくばフランク・エドワーズが意図的に改変したのかのいずれかであろう。
【参考文献】
『オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿』 ジョー・ニッケル、ジョン・フィッシャー著 (東京書籍)
付記:この「オリバー・ラーチ消失事件」の頁は、当サイト公開に先立つ数年前に、独立して作成した文章をそのまま掲載している。冒頭で、事件が実話という想定の下、結論からすれば全く迂遠で無駄な記述をしているのはそのためである。当サイトの他の項目と比べ、読んで違和感のある頁となってしまっているが、ご容赦願いたい。
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